「な〜んにも、ないなるとこんなん、広かったやな」
感慨深げに嶋本が言えば、さとりが肩をすくめる。
「そうだね。だって、仮にも独身寮でしょ?」
「寮言うたかて、他の官舎と何にもかわらへんからなぁ」
すべての荷物を東京に送り出せば、確かに部屋には何も残らず。
少しだけ日に焼けた畳が、部屋の古さを際立たせていて。
「2年、ここに住んだことになるか…」
「あらら、たったそれだけだったの?」
「ん? そやで、保大を出てから2年やからな」
「そっか」
座り込んだ嶋本の横に座れば。
確かにモノはないけれど、窓から見える景色は同じだった。
ここ2年、何度となく覗き込んだ窓辺の景色だった。
「さとり」
「ん?」
「すまんな」
「なに? 突然」
「お前と、ちゃんと話もできんうちに、こないな形で行かないかんなって」
何言ってるの。
さとりはくすりと笑って、立ち上がる。
「話、したじゃない。進次は羽田で。あたしはここで、もう少し頑張ってみようって」
「……そうやけど」
さとりは窓辺に向かい、幾分開けるのにコツがいる窓を簡単に開けて。
「進次」
「ん?」
「あたし、決めたんだ。欲しいものは、欲しいって言う」
「………なんやそれ」
窓辺の景色は、今日嶋本がいなくなるというのに、何一つ変わらなくて。
さとりはもう見ることのない、しかしあまりにも日常的な景色をいつまでも覚えておこうと、心に決めて目に焼き付ける。
「進次のこと、欲しいから。諦めない」
「………すっごい自信やな」
「うん、だって」
振り返ったさとりは満面の微笑みで。
「あたしは、進次のことすっごい好きだから」
嶋本は言葉につまった。
「進次が離せ言うても、離さないから」
陽光を背中に受けて、さとりは笑った。
抱き寄せても、自分よりかなり背の高いさとりの喉元までしか、自分の身長はない。
だからさとりはいつも中腰になって、自分の目を覗き込んでくれる。
そんなさとりの仕草が好きだった。
今でも、好きだ。
離したくない。
でも、離さなきゃいけないときもある。
それでも、さとりはいいという。
自分が離さないから、構わないだと。
「さとり」
「ん?」
「俺、お前のこと、寂しい思いさせて泣かすかもしれんで?」
「そんな今更」
「そっか」
「うん」
「そやな」
胸に響く、低い嶋本の声に、さとりはまた小さく笑って。
「進次」
「ん?」
「いってらっしゃい」
「………ああ」
「気をつけて、ね」
「うん」
「それから」
帰って来てね。
ここでなくて、あたしのところに。
あたし、待ってるから。
さとりの言葉に、嶋本は頷く代わりにさとりの身体を抱く手に、力をこめた。
それが、応えだった。