063 抱く手





「な〜んにも、ないなるとこんなん、広かったやな」
感慨深げに嶋本が言えば、さとりが肩をすくめる。
「そうだね。だって、仮にも独身寮でしょ?」
「寮言うたかて、他の官舎と何にもかわらへんからなぁ」
すべての荷物を東京に送り出せば、確かに部屋には何も残らず。
少しだけ日に焼けた畳が、部屋の古さを際立たせていて。
「2年、ここに住んだことになるか…」
「あらら、たったそれだけだったの?」
「ん? そやで、保大を出てから2年やからな」
「そっか」
座り込んだ嶋本の横に座れば。
確かにモノはないけれど、窓から見える景色は同じだった。
ここ2年、何度となく覗き込んだ窓辺の景色だった。
「さとり」
「ん?」
「すまんな」
「なに? 突然」
「お前と、ちゃんと話もできんうちに、こないな形で行かないかんなって」
何言ってるの。
さとりはくすりと笑って、立ち上がる。
「話、したじゃない。進次は羽田で。あたしはここで、もう少し頑張ってみようって」
「……そうやけど」
さとりは窓辺に向かい、幾分開けるのにコツがいる窓を簡単に開けて。
「進次」
「ん?」
「あたし、決めたんだ。欲しいものは、欲しいって言う」
「………なんやそれ」
窓辺の景色は、今日嶋本がいなくなるというのに、何一つ変わらなくて。
さとりはもう見ることのない、しかしあまりにも日常的な景色をいつまでも覚えておこうと、心に決めて目に焼き付ける。
「進次のこと、欲しいから。諦めない」
「………すっごい自信やな」
「うん、だって」
振り返ったさとりは満面の微笑みで。
「あたしは、進次のことすっごい好きだから」
嶋本は言葉につまった。
「進次が離せ言うても、離さないから」
陽光を背中に受けて、さとりは笑った。



抱き寄せても、自分よりかなり背の高いさとりの喉元までしか、自分の身長はない。
だからさとりはいつも中腰になって、自分の目を覗き込んでくれる。
そんなさとりの仕草が好きだった。
今でも、好きだ。
離したくない。
でも、離さなきゃいけないときもある。
それでも、さとりはいいという。
自分が離さないから、構わないだと。
「さとり」
「ん?」
「俺、お前のこと、寂しい思いさせて泣かすかもしれんで?」
「そんな今更」
「そっか」
「うん」
「そやな」
胸に響く、低い嶋本の声に、さとりはまた小さく笑って。



「進次」
「ん?」
「いってらっしゃい」
「………ああ」
「気をつけて、ね」
「うん」
「それから」



帰って来てね。
ここでなくて、あたしのところに。
あたし、待ってるから。



さとりの言葉に、嶋本は頷く代わりにさとりの身体を抱く手に、力をこめた。
それが、応えだった。




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