さとりは、空を見上げた。
それは少し前から習慣になっていること。
今度から船でレスキューするんじゃなくて、それから助けに行くんだと胸を張って、新幹線に乗り込んでいった、自分より背の低い恋人のことを思い出すたびに、さとりは空を見上げることにしていた。
でも。
今日の空は。
淀む灰色の海が、空に広がっていた。
夕焼けすら、見せてくれなかった。
「縮小、ですか」
「まったく何を、考えているのか、って言いたいけど」
端山の力いっぱいもたれかかった椅子の背もたれがぎしりと音を立てた。
「うわさは聞いてましたけど…ほんとだったですね」
「君は、派閥に所属、してるわけでも、ないのにそういう、情報は、早いんだね」
さとりは肩をすくめる。
「みんなが気にかけてくれるみたいです。佐橋先生が教えてくれました」
端山がすうと眼を細めたのをさとりは気づいて。
慌てて否定する。
「派閥、入るつもりないですよ」
「それが、いいよ。入ってしまえば、がんじがらめに、なるからね」
端山は非難しているわけではない。さとりも知っている。だが、さとりにさまざまな情報を与えてくれるのはそれぞれの派閥に所属している医師たちだ。
さとりの母方の祖父、氷野周一郎は高名な心臓外科医だった。それゆえに『氷野医師の孫娘』を自分の派閥に取り込みたい勢力が意図的にさとりに情報を流していることを、さとり自身も理解している。もちろんどこかの派閥に所属することがこの中途半端な立場を確定するには一番いいのだろうけれども。
そうしてしまえば、特権も与えられるだろうけど。
自由も失うことになる。
さとりが小児科医でありながら、救急外来で診察できるのも実はその派閥外であるからだ。
端山も入っていない。幼い頃の吃音障害でゆっくりと話す端山の口調は、時には人の気分を逆撫でられていると感じる者もいるようで。端山は追いやられるように救急外来に回ってきたのだという。
とはいえ、端山には救急外来が性に合っていたようで、外来発足以来残っているのは端山ぐらいで、救急外来科の副長を勤めている。
救急外来の規模を縮小する。
内々に決定したのは昨日だという。今朝にはさとりの耳に届いていた。
年間予算の規模縮小がまず決定した。そうすれば済崩しに資機材が少なくなり、人材が減らされ、消防から受ける受け入れ要請も片っ端から断ることになる。
「小児科は、まだ、当面出ていないけど、早い段階で、なくなる、ね」
「そうですか……」
細分化された、医療現場。
専門医がいないということが、命の危険に直接つながることを、予算縮小を決めた理事たちは気づかないのか。
だが、彼らに抗する力をさとりは持っておらず。
それに気づいていて、何もいえない自分が歯がゆかった。
近年、政府主導で医療現場の金銭の流れを明確にする改革が進みつつある。
だがそれが結局、医療現場の運営の妨げになっている部分もあるのだ。
そして規模を縮小された病院で、診察を受けられない患者が生まれる。
さとりの小児科も、医師の少ない科のひとつで、関西近辺で夜間診療を行える小児科は本当に数えるほどしかない。
いずれ、この病院の小児科外来も。
姿を消すかもしれない。
そうなったときに、自分はどうするのか。
さとりは夕焼けと同じく、ほとんど姿を見せない朝日を探すように空を見上げて目を細めた。
自分は、子どもを救いたい、だけなのに。