082 ちょっとした秘密





「なんだ、やっぱりお前たちも来てたのか」
不意の呼びかけに振り返れば、それはかつての隊長だった。
その笑顔に、真田は軽い敬礼で応えた。



「ただの人数合わせで出っ張ってきただけだけどな。お前に会えるとは思ってなかったよ」
古藤がコーヒーカップをソーサーに戻しながら、真田に言えば。
真田も同じようにコーヒーを飲みながら言った。
「自分もです。古藤隊長の船は確か、今週から尖閣諸島まで行っていると聞いていたので」
「ああ、あれね」
古藤は肩をすくめて。
「あれは高知から出っ張ることに急遽代わったんだ。で、俺たちは明日から紀伊水道待機。最近新しい早い巡視船は東日本配属で、どうせ西日本は退役する船で手が回らないんだよ」
「………そうですか」
「ま、それはそうと」
ずずいと身体を乗り出して、古藤が問う。
「どうよ。嶋は」
「元気ですよ」
「そんなことは知ってる。ちゃんと情報網があるからな」
「来月、ドラフト会議ありますけど、もちろん今回も嶋を指名しようと思ってます」
一緒だった高嶺は、古藤の部下である潜水同期と少し離れた場所で和やかに談笑している。
古藤は数度頷きながら、
「そうか、ならよかった。元気でしっかりやってるならな」
「はい」
少しの沈黙。
そして珍しいことに沈黙を破ったのは、真田のほうだった。
「今朝、飛行機で来たんですが」
「ん? ああ、そうらしいな」
同意する古藤が、どうして飛行機できたことを知っているのか、少し気になったが真田にとっては気がかりだった事を口にする。
「実は飛行機の中で重病人が発生して。高嶺が処置を手伝ったんですが、そのときの女性医師が自分たちのことを知っていたんです」
「知ってた? どうしてそう思うんだ?」
古藤の言葉に、真田は午前中に会った女性医師・氷野さとりと名乗った彼女の一言一句を思い出す。
「高嶺を特救隊の救急担当だと言い当てました。高嶺は海上保安官としか言わなかったそうです」
「ふん」
「それに海保に知り合いがいると」
「おい、真田」
「はい」
素直に返事を返す真田に、古藤が少し意地悪気に見える笑みを浮かべて、
「俺も不思議なこと、言ってやろうか」
「なんですか?」
「その女医さんの名前、氷野さとりって言わなかったか?」
真田はぴたりと動きをとめて。
数回瞬きして。
そして言葉を紡いだ。
「知己というのは、古藤さんのこと、ですか?」
「ん? さとり、それしか言わなかったのか?」
名前を呼べる仲。
とりあえずそれだけ自分にインプットして真田は思い出す。
『海保に知り合いがいて、それに自分は救急外来にいるので、海保の方もよくいらっしゃいますから』
「救急外来にいると」
「ふ〜ん」
まるで何かを探し出すサーチライトのように、古藤は真田を見渡して。
それからにっかり笑った。
何か、含んだような笑いを。
「氷野さとり、京阪大学付属病院小児科と救急外来勤務。一回は洋上救急をしてもらったこともある。とはいえ、俺の幼馴染なんだよ。こっち帰ってから、知り合って気づいた。お前らに会ったことも、さとりからメールもらったから知ってる。特救隊の隊長さんと、救急担当に会ったって」
「そう、ですか」
「お前は立ち会わなかったのか、処置に」
「狭い飛行機の中で、医療資格の無い自分には何もできないですから」
古藤は真田の言葉に肩をすくめた。
「それもそうだ。だがあいつの処置は手早いし、患者に優しいって評判らしいぞ」
「そうなんですか」
「評判の女医だよ。幼馴染の俺が言うのも変だけど」



日帰りだという二人を見送って古藤は携帯電話を操作する。
昨日まで嶋本のところだと言っていたさとりが、飛行機の中で高嶺と真田という特救隊員に会ったとメールをくれた。
そのメール画面から、さとりに電話をかければさとりはほとんど古藤を待たせずに電話に出た。
『もしもし』
「よ、さとりちゃん。真田と高嶺に会ったぞ」
『あら、そう? じゃあ、行き先一緒だったんだ』
「それはそうと」
必要などないのに、思わず古藤は声を顰めた。
「なんで嶋とのこと」
『うん。言おうかなって思ったけど。進次から言った方がいいと思って』
「………そうだな」
『なに、嘉治にいちゃん、言っちゃった?』
「言わないに決まってるだろ。さとりちゃんが嫌がることなんて」
『うわ』
続いて告げられたさとりの言葉に、古藤は思わず立ち尽くす。
『嘉治にいちゃん、最近、あたしにストーカーチックなシスコンみたいだよ』
秋風が、吹いた。




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