084 宴





「あら、氷野先生。来てたの」
顔を上げれば、見知った顔がもうひとつあった。
さとりは笑って頷いて。
「ええ、お久しぶりです。五十嵐さん」
五十嵐は真田の肩を叩きながら、本当に自然に、しかし他から見れば至極強引にさとりと真田の間に割り込んだ。
「私も今来たのよ」
「イガさん、氷野先生を知っているのか…そうか、では彼女が嶋本の婚約者というのも周知の上か」
最後の言葉は五十嵐を驚かす。
慌ててさとりを見れば、少し照れくさそうに笑っていて。
「………婚約、したの?」
「はい。少し前ですけど」
「そう。おめでとう」
続いた言葉に、聞き耳を立てていた一同はビールをふきだし、つまみが気管につまった。
「やっぱり氷野先生は物好きね。海保の、特救隊の、あんなのと婚約できるなんて」
珍しく真田と高嶺が苦情を口にした。
「イガさん、それは言い過ぎだと思うぞ」
「私も思います」
「そう? だって、海保とつきあうのって結構大変なのよ」
奇妙に実感のこもった言葉に、その場にいた全員がつっこみたかったけれど。
さとり一人が穏やかに答えた。
「そうですね」
「でしょう?」
「でも、それよりも当直の多い医者と4年も文句も言わずにつきあうのも大変だと思いますよ」
「……………」
思わぬ切り替えしに、今度は五十嵐が言葉を飲んだ。真田が珍しくほくそ笑んで、
「イガさんの負けだな」
「……氷野先生からそんな惚気を聞くことになるなんて」
差し出されたビールを一気に呷って。五十嵐は形の唇の端を小さく上げて、
「おめでとう」
「ありがとうございます」
さとりも笑顔で答えた。



裸族が走っていた。
なまじ鍛えられて少しばかり色黒の、トランクス一枚の裸族が1名、2名……。
その全貌は見えないけれど、あちこちの周辺の宴席から女性の悲鳴、とはいっても危険を感じる悲鳴ではなく、喜びの歓声に近い悲鳴なのだが、上がっていることから裸族の出没範囲が広がりつつあることを真田は感じていた。
例年より早いし、広い。
このままでは、警察の出動を招きかねない。
真田が立ち上がれば高嶺が「大丈夫です」と声をかける。
「しかし」
「ほら」
促されて見れば、金城隊長がふらりと立ち上がりながら、口に何かを咥えた。白い、小さなもの。それは呼び笛だった。
金城はわざとらしく背筋を伸ばして、力いっぱい笛に息を吹き込んだ。



笛の音は公園中に響き渡り。
裸族がわらわらと帰還してくる。
「おい、集合せんか〜、宴会終了のご挨拶するぞ〜」
野太い声に、野太い返事。
さとりはビールを握ったまま、瞬きする。
何度か海保の飲み会に参加したけれど、こんなことは今までなかった。
「あたしたちはいいのよ、そのままで」
五十嵐に言われて、さとりは普段より多い瞬きを自覚しながら、整列していく隊員たちを見ていた。もちろんその中に小さな嶋本も紛れていて。
「さて、隊長」
「ああ」
悠然と焼酎を飲む五十嵐の向こうで真田が、自分の横で高嶺が何の躊躇もなく上着を脱ぎ捨てればさすがのさとりもあっけにとられた。
「え?」
「いいの」
五十嵐はスルメを咥えたまま、真田の「行ってくる」にひらひらと手を振って。
「まあ、見てて。たいした見世物じゃないけど」
「……?」



上半身裸姿の隊員たちが全身を使って行う万歳三唱は、さとりも初めて見るもので。
「なんか、お祭りって感じだったね」
「そやろ? 俺、今年初めて参加したんやけど、結構面白かったわ」
「進次、ぜんぜんあたしのところ寄り付かないし」
さりげない苦情に、しかし嶋本も眉をひそめる。
「そりゃ俺も落ち着いて、真田隊長とお前を引き合わせてやりたかったんけどなぁ」
「いいよ」
はらはらと舞い降りる一枚の花びらを俊敏な動きでとらえて。
さとりはにっこりと笑った。
「話、できたから」
「そうか?」
「うん」
「何を話したんや?」



氷野先生。こんなこと、自分が言うのはおかしいかもしれませんが。
嶋本のこと、よろしくお願いします。
あいつはいいやつだから。
きっと、幸せになれると思う。



「……教えない」
「あ? なんや、それ」
「秘密! でも、いつかは教えてあげるよ」




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