091 忘れられたモノ





突然の言葉に、さすがの真田も目を丸くした。
「なんだと?」
「え? 俺、変なこと言いました?」
言った嶋本も、真田の反応に驚いて目を丸くしている。
高嶺が内心の動揺を抑えながら聞いた。
「嶋、それって結婚するってこと?」
「はい、そうですよ。だって俺」
婚約してるんやから、結婚してもおかしゅうないでしょ?
そういわれればそうなのだが。
「もちろん相手って」
「あ、さとりです。この前の花見で会わはったでしょ?」
もちろん、その場にいた誰の脳裏にも嶋本より遥かに長身で美人の女医さんの顔が浮かんでいたけれど。
「あ、ありえん」
「…………なんか、すごく可笑しい気がするのは俺だけか?」
「いや、きっと誰もが言いたいことは一緒だと思うぞ?」
自分の上を飛び交う謎の会話に、嶋本だけが眉を顰めた。
「なんなんすか、家族用の官舎に入りたいからどうやって申請したらえいか聞きたいだけなんですよ?」
立ち直りが一番早かったのは真田だった。
いつもと代わらぬ表情で、
「専門官に聞くのが早いだろう」
「あ、そうですよね」
あっという間に姿を消して。
真田は溜息をつきながら、椅子に座る。高嶺がのっそりと大きな身体を動かして、真田の耳元に囁いた。
「結婚、するつもりなんですかね」
「ああ。そのようだな」
「………じゃあ、向こうの病院、辞めてしまうんでしょうか」
高嶺の言葉に、真田は思いもしなかった言葉に一瞬瞠目するけれど。
「どうかな。それは二人が決めることだ」
「そうですけど……」
「なんだ?」
真田に促されて、高嶺は肩をすくめた。
「結婚式、しないんですかね?」



「そうか。とうとうさとりちゃんも関西を出て行くか」
しみじみといわれて、さとりは深々と頭を下げた。
「お世話になりました」
「うわ、なんだか嫁に行く娘みたい」
ぐすぐすと鼻をすすって、古藤が言う。
「まあ半年近くあるからな。それで」
「ん?」
喧騒の中華料理屋でさとりは思わず立ち上がる。



お前ら、結婚式はどうなってる?



「あ」
さとりは思わず天井を見上げて、小さな声で呟いた。
「忘れてた……」



「けっこんしき?」
「そう、結婚式。予定してないの?」
高嶺に指摘されて。
嶋本は高嶺を見て、その向こうで真田がコーヒーを飲んでいるのを見て。
小さく呟く。
「忘れとった……」



携帯電話の表示に『嶋本進次』の表示と、嶋本の画像を確認して、さとりは通話ボタンを押して。
開口一番、言った。
「言われた?」
『は? なんのことや?』
「今日官舎の話するって、朝言ってたから。結婚式の話、言われなかった?」
嶋本の深く長い溜息を聞いて、さとりは応えを悟った。
「言われたんだ……」
『挙げないつもりかって言われましたわ』
「あはは、やっぱり」
『お前がこっちへ出てくる〜いう話しか、よう考えたらしてへんかったわ』
こめかみに人差し指を置く。
それが嶋本の考え込む時のポーズだ。
きっと今だってそうしているだろう。
さとりはそう考えながら、
「で、どうする? する? しなくてもいいけど、した方がけじめにはなるよね」
『そうやな』
ゆっくり決めよか。
朗らかな嶋本の声に、さとりも笑顔で頷いた。




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