『そう、引越しすんだんやね。手伝いに行けんでごめんやで?』
「何を」
さとりは小さく笑った。
電話の向こうの姉も笑っているようだった。
『で、どうなの? 公務員官舎って。広いん? 横浜にあるんやろ? 周りの普通の家に比べたら大きいんとちゃうの?』
「うわ、姉さん。ずいぶん偏見やね。残念ながら、普通の2LDKです。家賃は安いやろうけど……」
官舎のことでひとしきり話題を流して、姉が言う。
『話変わるけど、結婚式はどうなったん?』
「あ、その話ね……」
さとりは言葉を濁した。
今年中に式を挙げるつもりで、横浜行きを決めたけれども。
自分の転職、引越しなどでどたばたしすぎて、すっかり。
「忘れてたわけやないんやけど」
『忘れてたんやね』
「だって、進次も何にも言わないし」
『進次くんの所為にしない』
ぴしゃりと告げられて、さとりは小さな声で謝るしかなかった。
「ごめんなさい……」
『どうせ優しい進次くんのことやから、またでえいよ、ゆっくり考えゆうた話になってるんやろうけど』
そのとおりだった。
ひかりは溜息混じりに。
しかしに、さとりの予想を越えた言葉を言う。
『さとり』
「ん?」
『さとりのスリーサイズ、変わってないよね?』
「え〜と……うん。どうしたの?」
姉から告げられた言葉に、さとりは思わず返事に窮した。
ウェディングドレス、つくってあげるよ。
『なに、いらんとか、式挙げるつもりないとか、そういうこと言わんといてね』
「あ〜……」
ひかりは主婦として家事育児にいそしみながら、それでも幼い頃の服飾デザイナーになりたい夢を捨てきれずに学校に通い、今ではデザイナーとして名前が少しずつ売れ始めているのだ。
「でも……」
『でもじゃない!』
またぴしゃりと断言されて、さとりは思わず言葉を飲み込んだ。
『こういうきっかけを作ったほうがこういうことは、前に進むんやで?』
「そういう、ものですか?」
『そうや。経験者のあたしが言うんやから、間違いないやろ?』
疑問を投げかけられても、さとりは苦笑するしか出来ない。
姉が結婚したのは、つきあって半年にならないくらいの交際期間しか持たなかった男性だった。
つきあいの長短が、人生の伴侶を選ぶ基準にはならない。だがひかりの場合は極端だった。
付き合い始めて2週間、恋人だった赤羽達彦がある時言った。
『マンションを買おうと思うんだ』
既に青年実業家として名前が売れ始めた赤羽にとっては造作も無いことだったかもしれない。だが、それがひかりと赤羽のバージンロードの端緒となったのは間違いなかったのだ。ひかりは言外にその思い出を引き合いに出した。
さとりは小さく苦笑して。
「わかりましたよ。じゃあ……お願いします」
『はいはい、デザインはあたしにおまかせね?』
自分より15センチ以上背の低い姉が、受話器を片手に勝ち誇ったように胸を張っているだろうことが、さとりには悔しいというより、ほほえましく思えてしょうがなかった。