「お。名前、変えたん、だね」
さとりのIDプレートを見て、端山が言った。
さとりは微笑みながら、頷いた。
「ええ。氷野にこだわる理由は、ないですからね」
「そう。最近、顔、見ないけど、忙しい?」
「半端なく。端山先生なんて、出世されてあたしの顔なんて忘れたのかと思ってましたよ」
さりげない嫌味に、端山重伍は数回瞬きして。
「なんだ。氷野先生、じゃなかった嶋本先生も、そういう嫌味、言えるんだ」
「なんですか、それ。あたしってどんな聖人君子なんですか」
「はは。だって、小児科のラブ、だったでしょ」
「………よく覚えてますね」
来ない、かい?
そう誘ったのは端山だった。
逃げだ、といわれても仕方ないと端山は言った。それでも、自分が作りたい救急外来システムのために、大学病院を辞めるのだと。
その言葉に、さとりも賛同して。
二度とは引き返せない道を、選んだ。
そういう意味で言うならば、端山はさとりにとって先達であり、教唆者であり、共犯者だった。
大学病院を辞めて、香洲院病院に移りたいとさとりが電話をかけたとき、端山は一瞬黙って。
『そうか。君も、来るんだね』
それはさとりを受け入れる予定がある、という意味ではなく。
さとりは来るべくしてそうなったといわんばかりの口調だった。
そして今。
さとりの胸には、『小児科 救急科 嶋本さとり』と書かれていた。
休憩用ラウンジで小児科の看護師たちと午後のおやつをいただいていたさとりを、端山が見つけて。
ネームプレートの名前の変化に気づいた。
「なかなか、がんばってる、みたいだね。春日井先生が、周産に入ってもいいんじゃないかって太鼓判、押してたよ」
「それはちょっと……小児科とERだけでいっぱいいっぱいですもん。もう少し、ERの方、人数増やしてくれないと」
「うん。実は来年、ERに、もう二人入る予定に、なってるよ」
さとりは目を輝かせた。
「うわ。なら周産、いけるかも」
端山は穏やかに微笑みながら、
「忙しい、ね。だんなさんに、悪いよ」
「え? 大丈夫ですよ」
自分の意図とは違う意味に取られたことに、端山は微笑を絶やさぬままに、
「そうじゃなくて、ね。自分が、周産に、入ることは、ないのかな、って」
さとりは数回瞬きして、満面の笑みで答えた。
「わかんないですよ。出来たら、そっちも忙しくなりますしね」
「そう、だね」
「あたしは、欲張りなんです」
さとりは小さく笑って、言葉を紡ぐ。
「医師も、妻も、母親も、したいんです。一人ではできないけど、二人なら、ちょっとは出来そうな気、しません?」
「……君は、思った以上に欲張りだね」
「ええ」
さとりは胸を張る。
「決めてるんです。欲しいものは、欲しいって言うって」