104 あきらめない





それは誰の目にも、明らかだった。
どうにも、ならない。
ここにいる、誰もが。
諦めていた。
嶋本も。
心肺蘇生を行う高嶺ですら。
疲労の色と、諦観を漂わせていた。
だが、たった一人。
諦めていない、人間がいた。



「……嶋」
「はい」
「船橋に行く」
「俺も行きます」
「いや。お前は高嶺の補佐をしてくれ」
真田は少し考え込みながら、立ち上がった。
医療室で動きがあったことに気づいて、覗き込んでいた両親が声をあげる。
「あの!」
「通してください」
静かな声で言われれば、大人しく引き下がる両親の目には、心肺蘇生法を行われている娘の姿が映ったはずで。
母親がわっと泣き崩れた。



親戚一同で、プレジャーボートに乗り込み沖に出たのだという。
船舶免許初心者にありがちな間違いで、港内は穏やかな波でも沖に出れば予想外の大波であったりすることを忘れてしまう。
そして、転覆事故。
不幸中の幸いは、乗員の全員がライフジャケットを着用していて、近くに漁船が何隻もいたことだった。
すぐにほとんどが漁船に助けられたけれども、二人船内に取り残されていることが分かった。
よって、特殊救難隊に救助要請がかかり。当直隊の3隊が出動した。
完全に転覆したプレジャーボートの船底をカッターでこじあけて救助できたけれども。
母親が必死の形相で、ぐったりする娘を抱きしめながら叫んだ。
『小夜子が、息をしてないんです!』
心肺停止状態。
救急担当の高嶺が心肺蘇生法を行うけれども、反応なし。
AEDでショックを与えれば蘇生するけれども、20分程度でまた心臓停止。
そしてAEDに反応、しばらくのちに心臓停止。
やがて、AEDのバッテリーが切れた。
乗り込んだ巡視船には旧式ではあるが、除細動器があった。とはいえ、AEDのように持ち運べるほど小さなものでもなく、常に電気を供給していなければ使えない。
巡視船は全速力で最寄の港に向かっていた。
とはいえ、最寄の港・横浜港に入るのは早くても3時間以上かかる。
それまでもつか。
除細動器の充電の音と、高嶺の心肺蘇生法でのカウントの声だけが、医療室にむなしく響いていた。



今日はER勤務もない。
さとりは小児科勤務を終えて、帰宅の準備を始めた。
ロッカールームに向かう途中、院内放送で自分の名前を呼ばれたのに気づいて近くのナースステーションに飛び込み、電話をかける。
「嶋本ですけど」
『お、よかったよかった。門倉です。あのさ、嶋本先生、確か海保の洋上救急行ったことあるって言ってたでしょ』
ERの門倉部長に言われて、さとりは答える。
「ありますよ。2回行きました」
『洋上救急要請、来てるんだよ。それも6歳の女の子。アレストなのにAEDで蘇生が続かないんで、動かせないらしいんだけど…行ける?』
さとりは受話器を握る手に力をこめた。
そして、静かに言う。
「屋上のヘリポート、空いてますよね」
『うん。あ、佐野ちゃん連れてっていいから。一回ER寄ってね』
「すぐ行きます」
行く行かない、ではない。
行けるか、だけの呼びかけは当然さとりが行くものだという呼ばわりで。
さとりは受話器を置いて、ERに向かって走り始めた。




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