109 結婚指輪の行き先





「あれ? 嶋本先生、指輪……あ、それって」
「そう」
さとりは結婚会見をする女優のように左手をひらひらと見せて。
「結婚しました〜、なんてね」
薬指に輝くのは、渋い銀色の輝き。
さとりより2年後輩の小児科の女医・結城真実が目をきらきらさせながらそれを見つめる。
「いいなぁ、そういうのって」
「ん? いいのかな?」
「羨ましい……」
「何言ってるの。結城先生だって結婚すれば買えるわよ。だけどこれって」
相手も持ってくれないと、ちょっと寂しいものよ?



はっくしょん。
大きなくしゃみのあと、嶋本は鼻をすすった。真田が声をかける。
「風邪か?」
「いや、ちゃいます」
きっとさとりが自分のことを言っている、そう思った。
ケンカほどではないけれど、夕べ少しだけ言い争いをした。
出来上がった結婚指輪。
サイズが自分とさとりがほとんど同じなことに、さとりは苦笑していたけれども。
『やけど、俺つけておれるかなぁ』
それではわざわざ作った意味がない、とさとりの抗議ももっともで。
嶋本はあたりを見回して。
黒岩を見つけて、声をかけた。
「黒岩隊長」
「ん? なんだヨ」
「手、手ぇ見せてください」
「は? まあ、いいけどな」
広げられた両手。左手の薬指には指輪が渋く光っている。嶋本は思わず口を開けた。
「してはる……」
「なんだよ、俺が結婚指輪をしてちゃ悪いかよ」
「いや、そんなことないんですけど」
嶋本は視界に入る既婚者の隊員に片っ端から声をかけて、手を見せてくれとせがんだ。そのほとんどが、指輪をしていたのだ。



「あ〜、お前、それは言い訳だ」
うんうんと頷く既婚者の隊員たちに囲まれて、嶋本は『手を見せろ』の理由を言わされた。黒岩が溜息混じりに言えば彼らは強く頷く。
「慣れるまではあれだけどな、慣れればいい。つけっぱなしにしておけよ」
「そうだな。おかげで俺はもう外れん」
「そうなんだよなぁ、サイズ変わるみたいだぞ」
「で、でも。指輪をしたら」
「いかんという規則はないし、第一細いやつで、プラチナなら問題ない。俺も女房になんで指輪をしないのか言われた時にずいぶん言い訳考えたけどなぁ」
「だめなんだよなぁ」
「そう、結局つけなきゃいけなくなった」
深い溜息が、男たちの挫折の歴史を示しているようで。
「お、おれも、つけなきゃいけないっすかね?」
「嶋本先生はそんなことじゃ、怒らないだろうけどな」
「あ、怒らないとは思いますけど」



「隊長、あの様子を見ていると、自分、しばらく結婚は遠慮したいと思います」
高嶺が真田にコーヒーを差し出しながら、溜息混じりに言う。しかし真田は面白そうに『入れ知恵』されている嶋本の後姿を見やりながら言った。
「そうか? 俺は、それでもいいと思うぞ。なんだか…嶋のやつ、楽しそうだ」



「というわけで、俺、ちゃんと指輪することにしたからな」
「あら、そうなの?」
えっへんと胸を張る嶋本に帰ってきた返事はあっさりとしていた。
嶋本は脱力しながらさとりに言う。
「さとりぃ、昨日、あんだけつけんのかて言うてたのに」
「うん。もったいないと思ったけど。よく考えたら、ほとんどサイズ一緒なんだから、あたしが両方使ってもえいかなぁって」
「は?」
「でも、つけてくれるんだったら。嬉しいね」
「…そうか?」
「うん。ありがと」




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