111 銀の細い糸





傘に当たる雨粒の音は、本当に密やかなもので。
耳を澄まさなければ聞こえないほど、小さかった。
だが小さな雨は、二人の上に降る。
外灯の光を受けて、まるで銀の細い糸のように。
「どうやったんや?」
「ん?」
「久しぶりにモトカレに会うたんやろ? どうやった?」
「ん〜」
さとりは微笑みながら小首をかしげる。
相変わらずな、男だった。
つかめない。
つかませない。
自由奔放に見えるけれど、決してそのようには振舞わない、男だった。
そして、それは何一つ変わっていないように思ったけれども。
「なんだろなぁ……ルックスも性格もいいんだけど、やっぱり何か違うなぁって思った」
「あ?」
「進次と、比べちゃったかな」
さとりは満面の笑みで。
1歩先を進む嶋本の横顔に言った。
「進次の方が、絶対いいって思ったよ」
「………モトカレとだんなを比べるんかい」
「うん」
にままと笑う嶋本が一瞬立ち止まってさとりと歩を並べる。そしてさとりの横顔を見つめながら言った。
「なあ、さとり」
「ん?」
「俺と結婚して、よかったんか?」
さとりの答えは早かった。
「うん。よかった」
「……早、ちっと考え!」
「ん〜、でもね」
考えても考えても、良かったと思うんだ。
進次と知り合えて。
進次とつきあえて。
進次と結婚できて。
「あたしって、幸せ者♪」
「………さとり、惚気てくれるんは、ありがたいんやけどな」
そこまで言われると、かなり恥ずかしいぞ。
嶋本は赤い顔を隠すように俯きながら、照れ隠しに言った。
「なんや、そうか……」
「うん」



さとりが『モトカレ』と食事に行く、と聞いたとき、少し心がざわめいた。
さとりがモトカレとどうこうというより、それを聞いて自分の心がざわめくのが嫌だった。
家で大人しくさとりを待つのが嫌で、小雨だったけれど迎えと称して家を出た。
そして聞かされた惚気。
思わず顔がにやけた。
嬉しかった。



「俺も」
「ん?」
「俺も幸せ者やな。さとりと結婚できて」
「うん。だったら、幸せ者夫婦ってことで」
「……そういうくくりかたはなんや、ひっかかるけど…ま、えいか」
「うん」
さとりの手が、嶋本の腕に回った。
僅かに漂う酒気が、アスファルトの濡れた匂いに重なった。




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