113 向き合うこと





「はい、どうぞ」
さとりがビールを注げば、嶋本は一気にそれを飲み干して。
言った。
「で、曽田さんの」
「はいはい、今するわよ」
さとりは苦笑しながら、話しはじめた。



古藤によると、こうだ。
曽田はさとりが上京した頃、呉での潜水研修を受けなおし、現場復帰の条件を整えた。
だがその年、妻の病気や子どものことなど、家庭の事情というもので船上勤務を先延ばしにしていたが、家族の協力もあってようやく船上勤務に戻ることが出来たのだという。
『嶋本がいた頃に比べてな、潜水班の人数ってかなり減らされてるんだよ。だから曽田が来てくれるのはすごく嬉しいし……いやあ、いい奴に来てもらえて、俺は嬉しくて嬉しくて……』
酒の所為か、本気の嬉し涙か、古藤はぐすりと鼻をすすりあげながら、
『曽田が言ったんだがな。嶋本が気にしているなら、もう忘れろと伝えて欲しいと』



「自分はよくなりましたから」
「……だがな、曽田。そういうことは自分で言った方がいいんじゃないか?」
「そう、ですね。でも、俺は」
ぐびりと焼酎を口に運んでから、曽田は言う。
「俺は、卑怯者ですから」
「……向き合うことが怖いんか」
「それもあります」
自分は最初、逃げてしまった。
さとりの、『守秘義務』に。
家族のため、という無敵の盾に。
だから、向き合えない。
向き合うことは、さとりを、家族を、否定することになりかねない。
それは、したくなかった。
いや。
することが、怖いというべきか。
自分よりも早く、自分よりも若く、特救隊という舞台まで上りつめていった、嶋本と向き合うのが。
「だけどなぁ……曽田」
「はい」
「いずれは、ちゃんと話ができるようにならんといかんと思うぞ」
「ええ」
そうだ。
いずれは。
だが、曽田の中で今は、違っていた。
まだ、違う。
そのときではない。



「曽田」
「はい」
「嶋本を泣かすのは許す。あいつは男で、ちゃんと受け止められる。やけど」
「分かってます」
曽田は微笑んで古藤の顔を覗き込んだ。
「氷野先生、じゃなかった嶋本先生、ですよね」
「………あいつを泣かせたら承知せんからな」
「ええ。嶋本にもおんなじこといわれそうやから、やめときます」




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