映画の余韻に浸りながら観客が姿を消し始めるなか、嶋本とさとりは相変わらず観客席に座ったままで。
「お前なぁ、それほど泣くか?」
呆れたように言いながら、嶋本はハンカチをさとりに渡すと、さとりは涙で化粧が落ちきった顔のままで、ぐずりと鼻をすすりながら。
「だって、進次があんなことしてるなんて」
「あほか、お前は」
嶋本は呆れたように、というより呆れきって言った。
「研修中の人間が、どっかのビーチで女と一緒にダイビングなんてありえへんし、なにより研修中に人が死んだことなんてないわ」
動き始めた回りの人間の動きが一瞬止まったように見えたのは、気の所為だろうか?
「だって、進次たちも海猿みたくナンパしてた…」
「俺らがやったのは広島の看護婦さんとコンパや!」
「……あの時、やってたのは保母さんとのコンパやったから、それ以外にも行ったんだね」
ぐずぐずと泣きながら告げられた言葉に嶋本は思わず言葉を飲み込んだ。
「………とにかく、潜水研修中の事故で保安官が死んだり大怪我したりしたんは、潜水研修が始まってからは無い! そう言うて、大友教官が言うとった」
「そう、なんだ」
「そや。あんなけったいな事故もないわ。まあ……40メートル急浮上はやったけどな」
「え?」
さとりがぱちぱちと瞬きするのを何とか宥めて、立ち上がらせて。
「まあ、とりあえずコーヒーでも飲むか?」
「小人?」
「………」
「え、七人の小人?」
「何回も言うな。そうや、それがおったんや」
カップを持つ手が止まって、さとりは思わず考える。
「え〜と、それって」
「幻覚や。それ以外にあらへん」
そういえば、と嶋本は思い出していた。
さとりはもともと、嶋本の仕事に関して立ち入って聞くことがない。
それは守秘義務の多い医師という職業柄、同じく守秘義務のある特別公務員の仕事内容を知ることはないと、最初から割り切ってのことだった。
だから。
潜水研修中の話も、ほとんど潜水同期のことばかりで。
研修内容に関しては話したことがなかったことを思い出したのだ。
で、言い出したのが七人の小人の話。
さとりは目を輝かせながら、
「それって、窒素酔いってやつだよね?」
「そうや。研修中に一回は経験させられる……それで、自分の体の限界を知るんや」
「ふ〜ん……七人の小人……」
さとりの頭の中では、白雪姫のアニメに出て来る小人を想像しているようだが……。
「実際、あのまんまが目の前で踊りだしたときは、あ、これはほんま幻覚やわって、自覚できたわ」
色違いのトンガリ帽子をかぶって。
ふわふわのひげ。
帽子と服の色は揃えられていて。
まるでオクラホマ・ミキサーでも踊っているかのような、リズミカルなダンス。
「そんなことって」
「同期に聞いたらな、ピンクの象やら、死んだはずのばあさんやら、いろいろ笑える話が出とったなぁ」
映画の中でも、幻覚を見るシーンがあった。
死んだバディが、ぬらぬらと蠢く海底から顔を出すシーン。
パニックを起こして急浮上しようとする主人公を、教官が必死に抑える。
それと同じ状況を嶋本は研修中に見た。
パニックを起こした本人は、あとでげんなりしながら教えてくれた。
『大っきらいな蛇が足にまきついたんだよ』
「今は……笑い話やけどな」
嶋本は溜息混じりに言った。
「そうやって、身体に限界を教えこまないかんってのも分かるけどな」
分かるけれど。
あの夏の厳しさと、得た友情は、きっと一生忘れないだろう。
ふとそう思って、嶋本は苦笑した。
「……なんや、俺も海猿か」
「ん? 今ごろ気がついたの?」
のほほんと返すさとりの言葉に、嶋本は肩を竦めて笑った。