121 焦燥感





その日、さとりは当直だった。
夜中に駆け込む救急車を、いつものことのように処理をして。
今日運ばれた患者の様態を確認してから、休憩に入った。
休憩室のドアを開ければ、休憩室にいた全員がテレビに釘付けで。
「すげえ」
「へえ、あんなことしてるんだ……」
そしてさとりが入ってきたのを確認して、全員が声をあげた。
「すごいじゃん」
「へ? な、なんのはなし?」
「あれ。あれだよ」
それはニュースの映像だった。
叩きつける雨。
薄手のカッパでアナウンサーが必死にリポートを続ける中、波しぶきがかかりそうになるのを悲鳴をあげながら避けている。
「あ、もう次のに移っちゃった」
「すごいのやってたんだよ。さっき。海上保安庁特殊救難隊って言ってたしね」
さとりが嶋本の勤務先をばらしたわけではない。
何かのテレビで海保による救助を見ていたスタッフが端山に聞いたのだという。
そういえば、嶋本先生の旦那さんって『海猿』なんですよね?
『海猿が、何かは、知らないけど、特殊救難隊って、言って、エリート中の、エリートなんだよ』
その日以来、ニュースで海保による救助が紹介される度にさとりはスタッフに言われるのだ。
『今日も旦那さん、出てるのかな?』
さとりは微笑みながら、内心で呟く。
進次、すごい人気者だよ……。
そして先ほどまで、九州での海難事故を映した映像が流れていたと説明されても、どのチャンネルも映し出さず。
さとりは肩を竦めて、仮眠室に向かった。



仮眠から目覚めた頃、横浜の空もネオンの明かりを押し返すほど、厚い雲が覆っていた。
台風が近づいている。
それも大型の。
ニュースで知っていたけれど、台風が通り過ぎた西日本ですぐに起こった事故については知らなかった。
まだ覚醒しきらない頭でぼんやりとテレビを見ていて。
無表情なアナウンサーが読み上げた台詞が、さとりの頭を刺激した。
『……続いては、夕べ長崎・佐世保での海難救助の映像です』
映し出されたのは、大きな潮の渦。
渦に飲み込まれていくように、客船らしい船がゆっくりと円を描きながら沈んでいく。
渦に巻き込まれないように一定の距離を保ちながら小さな船があちこちに浮かんでいて、少し高いところから撮られた映像にはその船の中にオレンジのウェットスーツと一緒に幾分小さな黄色いウェットスーツの背中が見えた。
さとりはゆっくりと目を細める。
多分、間違いない。
「進次……」
『遊覧船は沈没、しかし乗員乗客ともに多少の負傷者があったものの、死亡者・不明者ともにないとのことでした』
さとりは安堵の溜息をつく。
今回も、無事に全員を救出できたようだ。いやなにより、特救隊に怪我人がなかったことにほっとする。
『心配せんでもえいんやで? 真田隊長な、神兵言われてん』
『神兵?』
『そや。今まで出動して要救助者を助けられへんかったこと、いっぺんもないんや』
それはすごいことだろう、とさとりは嶋本から聞かされたとき、素直に思った。
さとりも命に直接関わる場所にいる。
もう何度となく命が消えていくのに立ち会った。
あの時の焦燥感と、悲しみはいつまで経っても慣れない。出来れば味わいたくない。
それを真田は味わったことがないと、言う。
さとりは既に違うニュースを読み上げ始めたアナウンサーに微笑む。
「……よかった」
だがこのとき、さとりは焦燥感を抱えてガルフに乗り込もうとしていた嶋本を知らなかった。




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