ふう。
吐き出された溜息が、まるで自分の中にこもる熱を追い出すかのようで。
だけど、胸の深奥に残る蟠りが溜息では吐き出されないことを嶋本は理解していた。
これは、怒り?
そうかもしれない。
だが、決して人に向けられる怒りではなく。
自分自身に向けられる怒り。
もう一度、同じことが起こっても。やはり自分は救助には行かないと思います。
ひどい言葉に、真田は穏やかに答えた。
それでいい、と。
高嶺がおろおろと一触即発の嶋本を見つめていたけれど、真田が穏やかに答えたことで、嶋本一人が激情を胸の中にしまいこまなくてはいかなくなった。
眼下に広がる風景は、見慣れた横浜のもので。
嶋本は胸の深奥に広がる怒りを、閉じ込め、かきけそうとしていた。
できないことをわかっていて。
真田は高嶺が入れてくれたコーヒーを飲みながら、小さな窓から横浜の風景を見ていた。
さきほど嶋本に投げかけられた言葉。
何度考え直しても、自分の答えは同じだった。
嶋本が間違っているとは、思えなかった。
命を救うということは、自分自身の命を危険にさらすということで。
だから特救隊では個々の判断を重視する。
たとえ、真田が救助に向かえと命令しても、命じられた隊員が与えられた情報の中で、自分の命も危険に陥り、救助が行えないと判断すれば、命令に従わなくてもよいし、罰則を適応されることもない。
特救隊が特救隊であるゆえだった。
隊長というキーパーソンが正常な判断ができなくても、個々の隊員がそれを行える。
自分の能力を把握し、限界を知る。
それは一人一人違うのだから。
真田の言葉に一礼する嶋本は、こみ上げるものを必死にこらえているように見えた。
「隊長」
高嶺の心配そうな言葉に、真田は苦笑しながら答える。
「大丈夫だ」
「しかし、今日明日は非番ですから安静にしていてくださいね。仮にも入院してたんですから」
「ああ、そうしよう」
「本当に、休んでくださいね。本部への報告とかはずらしてもらえばいいんですから」
釘をさされて、真田は黙り込む。
本当は本部への報告ぐらいならいけるだろうと思っていたから。
高嶺が小さく溜息をついて。
「………基地に帰ったら、絶対みんなに怒られますよ。いくら神兵でも無理しすぎです」
「ああ……」
沈む船の中で意識を失った。
死ぬのだ、と漠然と思いながら、助かるはずだと同じくらい漠然と考えていた。
射抜くような強い意志の力を宿した視線を自分に向けた、若い潜水士。
彼が、自分を助けた。
その事実は変えようもない。
そして、変えるつもりもないけれど。
それは、嶋本の心を傷つけた。
自分の命も守れないような救助はしない。
身体にしみついた性が、嶋本の、そして高嶺の拒絶を生み、経験不足の若い潜水士、神林兵悟が命令を無視して救助に向かい…。
お前が助かったのは、こいつの巻き起こす、奇跡だったか。
それとも、お前の『神兵』としての意地か。
俺には、わからん。
俺には、お前も兵悟も、理解できん。
少しばかりヤニくささを漂わせながら注げた潜水同期の言葉に真田は小さく頷いて。
ああ、俺にも分からない。
なぜ、助かったんだろうな。
まだきっと。
やらなきゃいけないことが、あるってことだろ。
坂崎の言葉が、まるで最初からそこにあるべきもののように、すとんと収まった。
「高嶺」
「なんですか」
「高嶺の言うとおりにしよう。今日は解散後、まっすぐ家に帰る。2日休めば、十分だと思うか?」
「あなたの体力、現在の回復具合を見れば十分ですよ」
優しい救急救命士は微笑んで、そう言った。