124 聴診器





昼過ぎだった。
真田は鳴らされたチャイムの音にパソコン画面から顔をあげた。
報告書の製作にパソコンを起動させたのが昼前。
既に2時間近く経過している。
真田の意識を引き戻すようにもう一度、チャイムが鳴らされて真田は慌てた様子も見せずに、立ち上がった。
「はい」
ドア越しに声がした。
「嶋本です、隊長」
「嶋本?」
慌ててドアチェーンとロックを外せば、玄関先に小さな嶋本と、
「お久しぶりです」
夫よりも遥かに高身長の妻がにこやかに微笑んでいた。



「報告書、ですか?」
「ああ。昨日は一日寝ていたので、忘れないうちと」
「また、隊長! おとといあんだけ高嶺さんが釘さしたでしょ。ゆっくり休めって」
「大丈夫だ」
いつもだったら引き下がる嶋本が、しかし引き下がらず。
「隊長はロボットやから、自分の体のことも忘れてはるに決まってます」
胸を張って言われても真田は動じることなく、
「なんだ、それは」
「どうせ通訳ついでに、体のメンテも引き受けますわ」
「………遠慮する」
「やから……さとり」
「ん?」
台所で持ち込んだカレーをかき混ぜていたさとりが顔を出す。
「台所、俺が代わるわ。診察頼む」
「うん」
促されてさとりが真田の前に座り、持ってきていたバッグを開き、『商売道具』を取り出す。
最初に身に付けたのは、聴診器。
それを首にかけ、チェストピースをVネックのシャツの中に直接放り込む。
一瞬の冷たさに肩を竦めながら、さとりは真田の腕を取った。
「じゃあ、血圧計りますよ」
パタパタと食事の準備に追われる嶋本の足音を聞きながら、真田は平静であろうと試みる。さとりは手馴れた様子で血圧と脈診を終えて。
「えっと、上脱げます?」
「ああ」
あっさりと脱ぎ捨てたTシャツを丸めて、真田は背筋を伸ばした。
さとりはイヤーチップを耳にはめながらチェストピースを胸元から引き上げて、真田の胸に押し当てる。
数瞬の沈黙。
真田はそのとき、気づいた。
だが、沈黙が意味があってのことだと分かっているからそのときは口にしない。
やがてさとりが安堵の溜息をついた。
「大丈夫みたいですね、ざっとですけど問題なさそうですよ。でも、一度」
「ああ。精密検査を来週受けるつもりだ」
「それなら」
さとりがにっこりと微笑みながら、声をあげた。
「進次」
「ん?」
キッチンから顔を出した嶋本にさとりは握った拳から指だけを出して、
「問題なし」
「そうか。よかったよかった」
ぱたぱたと『商売道具』を片付けるさとりを見ながら、脱ぎ捨てたTシャツを身に着けた真田が声をあげた。
「……嶋本先生」
「その呼び方、なんだかしっくり来ないですね」
さとりが肩を竦める。真田は眉を顰めながら、
「じゃあ、なんと?」
「………さとり、と呼びにくいですよねぇ……じゃあ、さとり先生はどうですか? 病院ではそう呼ばれてますから」
「……………では、さとり先生」
「はい」
「さきほど聴診器を暖められたのは」
「あ」
さとりは口元に手を押し当てて。
「……やってました?」
「やってはいけないことなんですか?」
さとりは口元を隠したまま、
「いけないことじゃないんですけど……小児科医の癖なんです。NICU、新生児集中治療室の子どもたちにはチェストピースの冷たさも刺激になるので……でも、内科ではしちゃいけないんですよ。患者さんによっては不快感を持たれるからなんですけど……すみません」
「いや、自分は不快感など」
「隊長。嫌やったらいや、て言うてやらんと」
嶋本がテーブルにトトンとカレー皿を並べながらさとりを覗き込む。さとりは心底苦笑しながら、
「ホントにごめんなさい」
「本当に気にならないから」




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