125 世界を埋めるモノ





3人で食事を済ませ、コーヒーを飲みながら談笑して。
気づけば2時間近くも滞在していたことに気づいて、嶋本が声をあげた。
「あかん、そろそろ隊長、休んでくださいよ」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないから言うてるんじゃないですか」
先日も同じような会話が交わされた。
真田は軽く嶋本を睨みつけて。
「お前の言っていることは正しいが。だが、自分の体調は自分で分かる」
思わぬ答えに嶋本がたじろいだ。
しかしそれも一瞬。
「分かってないから、俺が来てるんでしょうが」
「さとり先生の診察でも特に異常はなかった」
「そやかて、気化ガスですよ、意識がないなるくらいの! それを肺一杯入れて」
「血中濃度は下がっている」
「あたりまえです、下がってないと意識戻りませんわ」
上司と部下の言い争いに、さとりは参加せず少しばかり温くなったコーヒーをまるで日本茶のようにすすって。
「自分が間違っていると、嶋本は言うのか」
「ええ、間違うてます」
「間違っているとか、正しいとか、そういう問題ではなく」
「あたりまえです。俺らは心配、してるんです」
「………」
真田はぶすりとした表情を浮かべる。
一瞬流れた沈黙を破ったのは、意外なことにさとりだった。
「正しいだけでは」
「?」
「正しさだけでは、世界は動かないんですよ。真田さん」
「………さとり」
「な、に?」
「正解か、誤解か、世界にはその二極しかないように見えて、そうじゃない。二極の間を結び、つなぎ、潤滑油となるものがある。それは……気持ち、思い。そういった類のもの。それは正しさや過ちなどだけでは説明できない世界を埋めているって」
さとりはまっすぐに真田と嶋本を見つめて。
嶋本は息をのんだ。
さとりには何一つ、西海橋のことは話していない。
せっかくの夫婦そろっての休日なのに、料理を作ってくれ、隊長を診察してくれ、という嶋本のわがままに何一つ疑問をぶつけずについてきてくれた。多分、さとりなりに帰ってきた夫の何かを察したのだろう。
そしてさとりなりに、二人の諍いを理解して。
「さとり先生……」
「他人の受け売りです。古藤嘉治、ご存知ですよね?」
にっかりと笑ったさとりの言葉に、真田は瞠目する。
久方、聞かなかった名前だった。



正しさだけでは、世界は動かない。
じゃあ、何で動くなのだと思う?
いつでもいい、答えを俺に示してみろ。



穏やかに。
微笑みながら、そう告げられた。
静かな、そして低い声はいつだって変わらず。
海難の急変にもいつも同じで。
真田の、目標のひとつで。
それは今も変わらない。



「………昔、宿題を出されたんだ」
「………はい?」
「自分は間違っていない。なのに違う」
「…………たいちょ?」
「そうか。だからあのとき、隊長は」
一人の世界に埋没し始めた引きずり戻そうと嶋本は手を伸ばしたけれど。さとりによってとどめられた。
「さとり?」
「いいの、今日は帰ろう。真田さんの考え中モードはほっといた方がいいって、嘉治兄ちゃんが言ってた」
「……………考え中モード」
「多分、こういうことを言ってるんだと思うよ。隊長、聞こえてないと思うけどお邪魔しました」
パタパタと嶋本夫婦が姿を消したことも気づかず、顎を左手で触れながら呟く。
「………気持ちの大切さ……優しさ……」




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