128 決めた道





「まったく。なんとなく予想はしていましたよ」
吐息混じりに告げられて。
さとりは慌てて顔をあげた。



電話で告げれば姉のひかりはあっけらかんと、
『そう。気をつけていってらっしゃい。アメリカに5ヶ月? いいわねぇ、あたしも行きたい』
古藤に至っては、
『向こうには沿岸警備隊があるな。再就職願いを出せば受け入れてもらえるやろか?』
『却下』
『うわ、さとりちゃんに拒否られた』
『嘉治にいちゃん、周りに人いない? 多分ドン引きですよ』
だがさすがに祖母の理子には直接会って、説明した。
そして帰ってきた答えだったのだ。
「え?」
「だってあなた、したいことは諦めない。全部するって私に宣言なさったでしょ? だからこういう話が出たら、きっと迷うことなく行くだろうと思っていました」
告げられる言葉にさとりは小さく項垂れた。
「で? 進次さんは、いいと言ってくれたんでしょうね? ケンカして、押し切って行くようなことは」
「してないです。むしろ…」
「ああ、わかっています」
バッグの中を覗き込みながら理子が言う。
「進次さんだったら、気にすることない、言って来いって言うんでしょうね……本当はそういうのに甘えてはいけないものだけれども」
これが祖母と自分の違いだ、と思う。
嶋本の気持ちを素直に受け止め、旅立とうという自分と。
夫にすら謙遜の気持ちを忘れてはいけないと言い張る祖母と。
さとりは心の中だけで溜息を吐いて。
「ああ、これを渡しておこうと思って。少し前に周一郎さんの遺品の中から出てきたの。中を読んだけれども、私よりあなたが持っていたほうがいいと思うの」
バッグの中から袱紗に包まれて出てきたものは、かつて見慣れた祖父の字によるノートだった。
「さとりさん」
ノートの表書きを見つめていたさとりは顔をあげる。
そこには、見たことのないほどの穏やかな表情の祖母がいて。
「さとりさん。あなたが決めた道よ。進みなさい」
「………はい」



去ってゆく孫娘の後姿を見送って。
理子はほぅと溜息をついた。
研修の話を聞いて、かつて研修を望み、しかし時代に望みを消された夫のことを思い出した。
忙しさと責任感。
それは事実だったけれど、結局いいわけにしたのだと、晩年夫は苦笑しながら言った。
全てを捨てて、一歩を踏み出す勇気がなかった、と。
かつてはそんな決意のもとで海外に向かっていたのに。
孫娘はなんと軽やかに旅立てるのだろう。
職場が理解し、何より夫の支えがある。
なんと幸せなことか。
わしもそういう道を進みたかったな。
夫の声が聞こえたような気がして、理子は小さく微笑んだ。
そうね。
でも、あなたの代わりにさとりが進むのよ。
自分の決めた道を。




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