138 贖罪と義務





「元気そうで、安心したわ」
それが彼の最初の言葉だった。
嶋本も満面の笑みで答える。
「俺も安心しました。病気、完治したってさとりに聞きました」
「うん。手術のときの過誤で後遺症は残ったけどな」
見せるさわやかな笑顔。
流れるような関西弁。
どちらも彼ならではだ。
曽田淳一郎、かつての嶋本の上司で、同僚で、バディだった、男。



「すまんかったな」
ぼそりと告げられて、嶋本は首を傾げる。
「あ〜……」
続く言葉が見つからない。
言葉に困って、煙草をくわえて何も見えない夜空を見上げた。
夜更けとなっても、地上の光に照らされて中途半端な暗さしか纏わない夜空。
その上に僅かにかかる雲が、地上の輝きを反射していた。
そんな風景をなんとなく見つめて。
嶋本はふうと、紫煙を吐き出した。
そして呟くように言った。
「もう、いいんですよ」
「……やけど」
「えいんですよ、曽田さん」
曽田さんだけが悪いんやないことは、俺でも分かってます。
呟くように、しかし力強く告げられた言葉に曽田は顔を上げた。
嶋本の口元に浮かんでいる穏やかな微笑を見つけて、小さく溜息を吐いて。
「やけどな、俺はお前だけやない。さとり先生まで巻き込んだ」
「そうですね」
「………さとり先生を、そうするつもりはなかったけど、結局利用したことに、なるやろな」
「わかってます。さとりも、俺も……でも、曽田さんがそうするつもりでしたんやない、って信じてますから」
曽田が僅かに目を見張った。
嶋本は続ける。
「結果としてそうなっただけです。それは……わかったときはショックでしたよ? なんでそんなことになったんか、いろいろ考えて。いろいろ変なこと言うた奴もおったし。でも、曽田さん」
近くにあった灰皿に、僅かに残った煙草を押し当てて消して。
嶋本は笑う。
「俺が思うてた曽田さんは、きっと結果だけ見てもきっとずっと後悔してるやろうと思うから。やから、なおのこと、もう忘れることにしました」
「嶋……」
「忘れます。曽田さんは今までどおりにしとってください。俺やさとりに罪悪感、持たんといてください。そんなことしたら……」
俺とさとりが悩んで、考えて、それでも一緒に歩いてきた意味を無くすから。
曽田は再び口を開きかけて。
だが途中で言葉を飲み込んで、深く長い溜息をはいた。
「そうか」
「……はい」
「じゃあ、俺は一回しか言わへんで。すまんかったな! お前にも、さとり先生にも心配、かけて」
「あ、はい」
「……嶋」
「はい?」
見上げたかつてのバディは誇らしく微笑んで。
「ええ男になったな」
「そう、ですか?」
「そうや。俺の自慢の、後輩やで」
「……ほんまに?」
「ああ」
晴れやかな嶋本の笑顔を、曽田は一生忘れないでおこうと、心に誓った。



傷つけた。
その優しさゆえに、バディを、その恋人を巻き込んで、傷つけた。
自分は肉体的傷を。
バディと、その恋人には精神的傷を。
バディが巡視船に残していった、拳のあとを曽田は忘れない。
そして、同じようにバディの晴れやかな笑顔を忘れない。
そうすることが、かつて共に歩んだバディでの贖罪。



曽田さん、俺、潜水士になります。
で、曽田さんのバディにしてくださいよ?
ああ、そやな嶋本。
やけど、お前のバディはもう、俺じゃない。
お前のバディは、もうお前の差し伸べた手を、しっかりと握り返してくれた、だろう?
その思いを、忘れないでいてくれ。
そして、その高みで俺を見守ってくれ。
俺はもう届かないかもしれない、その高みに手を伸ばす。
手を出すな。
ただ、そこから見守れ。
目指すのは俺の義務。
見守るのは、お前の義務や、嶋本。




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