「シマ」
涼やかな声に、嶋本は慌てて振り返る。
「お、お疲れさまです! 五十嵐機長!」
「お疲れ」
すぐ傍のA水槽ではひよこたちが阿鼻叫喚を繰り広げている。ひよこたちは自分たちで精一杯で、背後から覗き込む五十嵐に全く気づかない。
「まだ6人、いるわね……」
不思議そうに言われて、嶋本はがっくりと項垂れる。
「まだって、機長」
「シマ、あなた。優しく優しく扱ってるんじゃない?」
微笑まれて、嶋本は顔が硬直する。
「や、やさしくて……」
「真綿でくるむように、じわじわと?」
「機長、それはなんかちゃうと思いますけど」
「ん?」
ついとあらぬ方向を見やって五十嵐は考え込んだ。
その間、嶋本は五十嵐の様子を気にかけながらA水槽を覗き込む。
既に水面下に顔が沈んでいる者もいる。
必死の形相で前へ前へ進もうとする者もいる。
だが、遅々として進まない。
嶋本は声を上げた。
「ちんたらちんたら、水遊びしてるんとちゃうで! 前へ進まんか! 進めへんかったら特救隊、辞めてまえ!」
「はい!」
「進みます!」
沈みそうになりながら、必死に進もうとする。
声をかければ、僅かながら速度は上がる。
だが、嶋本の叱咤が聞えないと、サボるわけではないが、少しずつ速度が落ちる。
それがまだ、甘いとこやな。
嶋本は憮然とした表情で水槽内で浮いている6個の頭を見やった。
意識はある。
だが、身体が休もうとするのだ。
まだ、限界を知らないから。
ひよこたちの『限界』は本当の限界ではないのに。
「優しいわね、やっぱり」
五十嵐の言葉に、嶋本は顔を上げた。
冷たく見える切れ長の目元に、微笑を浮かべて、無敵な彼女は笑った。
「優しいわね、シマ」
「そうですか?」
「ええ」
踵を返して、五十嵐は言った。
「優しいことはいいかもしれないわね。でも……それだけじゃダメなことは、あなたも分かってるでしょ?」
「………はい」
人の命を救う、という極限状態で、優しさ、思いやりだけでは、ダメなのだ。
それは5管時代に何度も五十嵐に言われた言葉。
時には突き放す厳しさも必要なのだと。
「忘れて、ませんから」
「ん?」
嶋本は五十嵐を見やって笑った。
「機長に言われたこと。突き放すことも必要なんやて」
「………ああ、そんなことも言ったかしら」
「ええ」
「………水槽、2時から使わせてもらうから。それまでには空けておいてね」
「はい」
嶋本は水槽に向かって吼えた。
「お前ら、とっととあがれや! 飯食うて、座学や!」
力ない返事に嶋本が吼える後姿を五十嵐は首だけで振り返って、小さく笑った。
「………忘れてなかった、か」