147 マスオさん





ぴりり、と鳴ったのは嶋本の携帯。
「ん?」
慌てて携帯を取り出して、画面を見ながら小首を傾げる嶋本にひよこたちも首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「あ〜、なんでもないわ。おまえら、先行っとけ。すぐ追いかけるわ」
「はい」
ひよこたちに背を向けて、嶋本はもう一度画面を見る。
【さとり 実家】の表示。
さとりはもちろん日本にいない。
とすれば、かけてくるのは一人しかいない。
嶋本は小さく息を吐いて、背筋を伸ばし、受話ボタンを押した。



『え? 誰?』
「せやから、おばあさんや。氷野の」
『………』
一瞬の沈黙は、国際電話という時差のものか、さとりの意図か。
『なんで、おばあさまが』
「やから最初に言うたやろ。心配してくれはったんや。俺のことを。食事がちゃんと摂れてるか、自分でよかったらご飯作るけど、持っていってええかって」
世の中は便利だ。
昔は国際電話といえば高くて、数秒の会話で請求書の0の多さに目を回していたというのに、今日のさとりとの会話は、互いにヘッドフォンを装着して、カメラをつけたパソコン画面に向けて話している。その上、請求書は限りなく国内電話に近い料金を請求してくる。
さとりの微妙な表情まで嶋本のパソコンは映し出していた。
嶋本は思わず吹き出す。
「なんや、その顔は」
『……なによ、なんで進次が平然としてるわけ?』
手にしていた缶ビールのプルトップを開けながら、嶋本は答えた。
「別に。だっておばあさんと話したことって、さっき言うたことだけやからなぁ。一応恐縮して、なんとかやってますからって答えたら、身体が資本のお仕事ですから、こちらの老婆心なのは理解してますって言われたけどな」
『…………おばあさまって』
「けどな、ホントにさとりのことも心配してはったで?」
一口飲んで、嶋本は神妙な面持ちなさとりに言う。
「お前、最近、おばあさんに連絡してるか?」
『………進次ほど前にはしてない』
「なんや薄情やな」
『…………』
深い深い溜息がスピーカーから聞こえてきて、嶋本も小さな溜息をついた。
さとりが実の祖母でありながら、なぜか理子を苦手とするのを嶋本も気づいていた。
厳しく育てられた、とさとりも言っていた。
いつも凛と伸ばされた背中が、理子の強さを表しているようで。
言葉の端々に、勝気さを示しているようで嶋本も少し身構えて話をすることが多かったのだが。
『私の気苦労なのはわかっていますよ。ですけど、一応母親がいない以上、さとりの母親代わりをしてきた私にしてみれば、あなたは息子のようなものですからね。ましてや肝心要のさとりは、あなたを放り出してアメリカなんぞに行ってしまいましたし』
『は、はあ……』
『さとりの代わり、といってはなんですけど、私にできることがあればしたいと思うのですよ』
『…あの、お気持ちは本当に嬉しいんですけど』
『そうね。実は来週、あかりが子どもたちを連れて東京に出て来ます。その時、家で食事でもと思っているのよ。よかったら、どうかしら?』
一人ではないということもあって、嶋本は承知したのだ。
「あかんかったか?」
『う〜ん、いいんじゃないかな。おばあさまにしたら、気を利かせたんでしょ? だけど……』
微妙に笑っているさとりが言った言葉に、嶋本は思わず口に含んだビールを噴出しかけて、必死に飲み込んだ。
『なんかお姑さんに気使ってるみたいだね』
「…………………なんやて」
『マスオさんみたいだね』
思いもしなかった言葉に、嶋本は黙り込む。
手にした缶ビールが嶋本が思わず指に力を入れたことで、小さな音を立てた。
「…マスオさん」
『そんなに気使わなくてもいいよ。おばあさまにはあたしが電話しておくから。あ、行くんだったらお姉ちゃんにも電話しておくね』
あっさりと立ち直った妻とは違い、夫の方は小さく呟く。
「……俺、マスオさんかい……」
『お〜い、進次?』
「マスオさん、なんか。俺は……」
嶋本が我に返るのには、少し時間がかかった。




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